買取人気ブランド [ ランゲ&ゾーネ(A.LANGE&SOHNE)] |
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ランゲ&ゾーネ(A.LANGE&SOHNE)の主要腕時計
ダトグラフ(DATOGRAPH)
ドイツの技術が生んだ芸術作品ともいうべきこの時計で、ランゲは最高級クラスの機械式時計の世界に新たな標準をうち立てます。
時計製造史上初のフライバック機能、プレシジョン・ジャンピング・ミニッツカウンター、アウトサイズデイト表示を搭載する、コラムホイールを使った正統派クロノグラフです。
ダトグラフでは、30分までの長さの時間を1/5秒の精度で計測することができます。
計測タイムが60秒を経過するごとに一目盛りずつ正確に"ジャンプ"する分積算計(プレシジョン・ジャンピング・ミニッツカウンター)のおかげで、計測した時間を間違いなく読み取れるようになりました。
また、フライバック機能を使えば、時間計測中のクロノグラフを、一回プッシャーを押すだけでリセットすることができ、押したプッシャーから手を離した瞬間、間髪をおかずに次の計測が始まります。
通常なら必要な“ストップ”、“リセット”という二段階の操作を省くことができるのです。
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ランゲ・アンド・ゾーネとは、ドイツ語でランゲとその息子達を意味します。
実は、このブランドは、17世紀にまで起源を遡ることが出来るのです。
1845年にドイツのグラスヒュッテにアドルフ・ランゲ氏が工房を構え、数々の傑作を作り続けてきましたが、その4代目にあたるウォルター・ランゲ氏の時代である第2次世界大戦後の1948年に国家に接収され、1951年には、東ドイツの国営企業として、そのA.LANGE&SOHNEの名前を完全に消す事となるのです。
そして、1990年にウォルター・ランゲ氏によって新生ランゲの時計工房を設立することとなり、その後新生ランゲが誇るランゲ1が発表されることとなるのです。
ランゲ&ゾーネ(A.LANGE&SOHNE)の歴史年表
1815年
2月18日にドレスデンでアドルフ・ランゲ誕生。
1830年
アドルフ・ランゲが時計師グートケスに入門。
見習いとして勉強を始める。
1837年
時計職人となってさらなる修業の旅に出たアドルフ・ランゲは、当時ヨーロッパで名職人と評判の高かった、クロノメーター製造技術をもつ時計師の工房を各地に訪ねる。
1841年
グートケスとアドルフ・ランゲが共同でドレスデンのゼンパーオペラのために"五分時計"を製作。
1842年
アドルフ・ランゲが時計職人のマイスター資格を取得。
1845年
アドルフ・ランゲがエルツ山地に移住。
グラスヒュッテの町で、後に世界に名を馳せることになるザクセン精密時計製造業の始まりとなる工房を設立。
フランスの単位ライン(リーニュ)の代わりにメートル法を採用。
1846年
旋盤の動力源として弓方式の代わりに弾み車方式を採用。
1848年
アドルフ・ランゲがグラスヒュッテの町長になる(1866年まで在職)。
1861年
秒針がジャンプするように進む時計をアドルフ・ランゲが設計。
1864年
ムーブメントの安定性を高めるため、アドルフ・ランゲが3/4プレートを導入。
1868年
リヒャルト・ランゲが共同経営者となる。
その3年後には弟エミールも参加して、マニュファクチュールの名称が、後に世界中に知られることになる"A.ランゲ&ゾーネ"に変更される。
1873年
ランゲ一家の住居と工房を兼ねた新社屋が完成。
この建物は、やがて"本社"と呼ばれるようになり、一族の歴史に残るものとなる 。
1874年
ムーブメントの直径わずか25ミリの秒針付きレバー式婦人用時計をA.ランゲが発表。
1875年
アドルフ・ランゲが亡くなる。
彼が息子たちに遺した会社は、すでに世界に名を知られた名門企業となっていた。
1882年
動力伝達機構にチェーンフュジーを使ったクロノメーター懐中時計を製造。
1891年
A.ランゲ&ゾーネ初の自動巻き式懐中時計を製作。
その名はパーペチュアル。
1895年
ランゲ創業50周年を迎える。
グラスヒュッテの町がアドルフ・ランゲ記念碑を建立。
マリンクロノメーター部門設立。
1898年
皇帝ヴィルヘルム二世がスルタン・アブドゥル・ハミッド二世に贅沢な装飾の施されたA.ランゲ&ゾーネの懐中時計を贈呈。
1900年
エミール・ランゲの作品に続く二つ目の百年紀記念トゥールビヨン、ランゲ1トゥールビヨンを製作。
昔の本社工房を買い戻すことに成功。
1902年
エミール・ランゲが、フランスのレジョンドヌール騎士十字章を受章。
1908年
ランゲの製作したグランド・コンプリケーションと呼ばれる懐中時計に4930金貨マルクの値がつく。
これは当時、家が2軒買える値段。
1923年
インフレーションの時代:11月16日のランゲウォッチ1個の価格は100兆帝国マルクを越えた。
1924年
アドルフ・ランゲの曾孫にあたるウォルター・ランゲが生まれる。
彼も先代たちと同じ時計師の道を選ぶ。
1945年
終戦前日のロシア軍による空襲でランゲの本社工場が焼失。
1948年
会社が東ドイツ共産政権により接収され国営企業となる。
ウォルター・ランゲはふるさとを後にして西側に脱出。
1990年
東西ドイツの統一後、ウォルター・ランゲはグラスヒュッテに戻る。
12月7日には会社を設立して、伝統のブランド"A.ランゲ&ゾーネ"を再び商標として登録。
1994年
華麗なるカムバック:ドレスデンの王宮で復興後初めて新モデルが発表される。
発売された新生ランゲウォッチは、ランゲ1、トゥールビヨン"プール・ル・メリット"、アーケード、サクソニアの4種類。
1997年
新生ランゲ初の自動巻きムーブメント"SAX-0-MAT"を搭載したランゲマティックを発表。
1999年
ダトグラフの発表で、最高精度の機械式クロノグラフにおいても他の追従を許さないランゲの技術力が明らかになる。
2000年
エミール・ランゲの作品に続く二つ目の百年紀記念トゥールビヨン、ランゲ1トゥールビヨンを製作。母屋と呼ばれて親しまれた昔の本社工場を買い戻すことに成功。
2001年
再び昔の本社工房でA.ランゲ&ゾーネの時計が製作されるようになる。
ランゲ復興後初めての永久カレンダーを搭載したランゲマティック・パーペチュアル発売。
2002年
ランゲ1・ムーンフェイズの発表により、ランゲは高級機械式時計の新たなるブームを巻き起こす。
2003年
新しい技術開発センターが落成、これまでにない独創的アイデアや新技術を具体化するための拠点となる。
2004年
ランゲ・ダブルスプリットで、時計製造技術の新次元に突入する。
ダブルラトラパント機能を備えたフライバッククロノグラフは世界初。 |
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