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ブレゲ(Breguet)の主要腕時計
トゥールビヨン(Tourbillon)
トゥールビヨンとは、テンプと脱進機全体をつねに回転させて誤差をもたらす重力の影響を排除する装置です。
時計は置かれる位置、つまり姿勢が変わるたびに進んだり遅れたりします。
その原因を追究したアブラアン−ルイ・ブレゲは、時計のムーブメントの規則正しい動きを乱す大敵が地球の重力であるという事実を突き止めました。
人間のあらゆる活動に関わるこの重力の問題を解決するために、彼はテンプと脱進機全体をケージに収め、これを同軸上で1分間に1回転させるという方式を考案しました。
これにより、姿勢の変化から常に生じる進み遅れを相殺させることで、誤差の解消を図りました。
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「時計の進化を2世紀早めた男」「時計界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」など、至上の賛辞を受けた天才時計師、アラン・ルイ・ブレゲ。
彼は1747年にスイスで生まれました。
15歳で時計産業の中心地フランスのパリに時計職の年季奉公に出、1775年、時計職人として独立。
その後、世界初の自動巻システムの開発など時計の歴史に数々の偉業を残してきました。
ブレゲ創設200年以上経った現在でも、彼の発明した機械式時計のほとんどの機構方式が基本ベースとして使用されています。
主な発明として、トゥールビヨン、ミニッツリピーター、クロノグラフ、永久カレンダー、自動巻き機構、ヒゲゼンマイ、耐震機構、ツインバレル...。
ほとんど、彼以降に時計界の発明はほとんどないといっても過言ではありません。
時計以外での発明は歩数計やメトロノームなどがあります。
彼の発明は複雑機構や構造面にとどまらず、時計を芸術的作品として高める事にも成功しています。
現在では他社の製品でも採用されている、ギョーシェ文字盤、のような装飾もすべて、ブレゲの考案です
。
ブレゲ針、ブレゲ数字なども代表的で、シースルーバックもブレゲによるものです。
「歴史が作り出された場所にブレゲあり」
ブレゲを寵愛した人のなかには歴史的な人物が多く含まれています。
マリー・アントワネット、ナポレオン・ボナパルト、ロシア皇帝アレクサンドル1世、エットーレ・ブガッティ、アーサー・ルビンシュタイン、アレクサンダーフォン・フンボルト、等々。
まさに、「歴史の作り出された場所にブレゲあり」なのです。
ナポレオンの妹カロリーヌ、やがてナポリの王妃(Queen Of Naples)となったナポレオンの妹の為に、ブレゲは卵型ペンダントウォッチに髪の毛と金を混ぜ合わせてブレスレットを製作。
これが世界で初めての腕時計となりました。
当時の製造記録を元に『クイーン・オブ・ネイプルズ』を現代に復刻されました。
「ブレゲの最高傑作」
ブレゲの最高傑作は何でしょうか?
ブレゲが生涯で最も情熱をそそぎ込んだという意味において、今からご紹介する時計が最高と言えるかもしれません。
先述の通り、ブレゲの顧客には錚々たる人物が名を連ねています
その中でも、マリー・アントワネットから注文された時計は忘れることが出来ません。
「予算も期間も制限しない。最上の時計を作ってください。」 パリでブレゲがマリー・アントワネットにそう言われたのは1783年のこと。
しかし、1789年、フランス革命勃発。ブレゲはスイスへの帰国を余儀なくされました。
パリに戻ったのは、1802年。
ついに、トゥールビヨンや永久カレンダーをはじめとする数々の発明を駆使し、マリー・アントワネットの複雑時計は完成されました。
しかし無情にも、アントワネットはすでに断頭台にかけられた後だったのです。
亡き王妃の名を冠されたこの時計「マリー・アントワネット」は、1917年にロンドンの宝飾店で熱烈な時計愛好者だったデヴィット・ライオネル・サロモンズに購入されました。
「ポケットの中に天才の頭脳をしのばせているようなものだ。」サロンズのこの言葉ほどブレゲの時計を端的に示しているものはないでしょう。
残念ながら、この時計はサロモンズの死後売りに出されてから消息はわかっていません。 |
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